寺院案内

境内案内

本尊 釈迦如来坐像

曹洞宗のご本尊様は釈迦牟尼佛(お釈迦様)です。正源寺では開創初期は本尊と馬頭観世音菩薩と定めておりましたが、江戸時代初期頃に厨子に納められた釈迦如来坐像を本尊としてお奉りするようになりました。「坐像」とされているように坐禅を組む姿をしており、煩悩や邪念無き、正しい信仰へ導くお姿をされております。

現在では、代々伝わる釈迦如来坐像は開山位牌堂の正面にお奉りして、本堂須弥壇上には新しい釈迦如来坐像をお迎えしております。

旧観音堂(現秋葉堂)

旧観音堂は、山門向かって右側に佇む古い様式の建物です。正源寺で一番最初に建立された建物で天正20(1592)年4月の建立と言われております。

旧観音堂には慰霊の為、由良国繁公の手により馬頭観世音菩薩像が祀られておりました。

江戸時代に入り牛久宿が整備されると、軒を連ねた茅葺き屋根の家々は火災にあってはあっという間に大火に繋がった事と思われます。牛久宿も幕末までに数回の大火に見舞われたと言われ、そうした背景のもとで、いつ頃か定かではありませんが大火が起きないように御堂内の観音様(馬頭観世音菩薩)を正源寺の本堂内須弥壇(本尊様を安置する場所)上にお移しし、替わりに火伏せの秋葉三尺坊大権現を勧請し奉られていると伝わっております。

現在は、毎年10月17日に火伏せと厄災消除のご祈祷を行っております。ご希望の方にはお寺へお申し下されば火防のお札をお分け致します。

正源寺山門(鐘楼門)

禅宗では三門とも呼びます。

この地域では珍しく、二階建ての下層が門、上層に梵鐘を吊り下げる鐘楼門となっております。

扉がないのは、一切衆生が仏門に入る事を拒まない仏の大慈悲心を表しています。

牛久宿の要にあたる場所に建つこの門は、正徳2(1712)年に梵鐘を鋳造し、奉られたと伝わっておりますが、その当時の鐘は戦時中に供出されてしまいました。

本堂が山門を下った先に建っているというのもあまり例がなく、珍しいとされています。

開山位牌堂

本堂のすぐ裏手にある鉄筋コンクリート二階建銅板葺屋根の建物が開山位牌堂です。

御堂の正面には一仏両祖として代々伝わる釈迦如来坐像を中心に据え、高祖承陽大師像(永平寺開山 道元禅師像)、太祖常済大師像(總持寺開山 瑩山禅師像)を脇に奉りお護りしております。また、当寺の開山和尚像と歴代住職のお位牌をお奉りし開山堂としております。

御堂の左右には地区に分けてお檀家の先祖代々のお位牌が奉られております。

お位牌を見守るように、十六羅漢の御像が安置され厳かな雰囲気に包まれております。ここにはお檀家の皆様のお仏壇のお位牌とは別に先祖代々のお位牌をお奉りし、毎朝仏飯をお供えし、お経をお挙げし、報恩感謝の供養をしております。

お位牌の奉納を希望の方はお寺までいつでもご相談ください。

水屋

全国の寺院、神社には昔から大なり小なり水屋や手洗石があるものです。み仏様、ご先祖様にお参りして感謝の誠をささげる前に、身を清め、心を洗い、「慈愛の心」をもってみ仏様にお参りする尊い所、それが「水屋」の心です。

曹洞宗の宗祖、道元禅師が中国で真の仏法を受け継がれ日本に禅宗(曹洞宗)を伝えられた教えの中に「水」の尊さをお示しになられております。永平寺に参詣すると総門の入り口に「杓底一残水 汲流千億人(どんなに水があっても柄杓の底の残り水も粗末しない、元の流れに戻せば多くの人がその水を受け止める事ができる)」の碑が目に入ります。水に恵まれた永平寺にあって、柄杓の底に残った水を無駄にせず沢に戻していたという道元禅師の故事に因むものです。同じ川の水を飲んで、共に生きるだけでなく、同じ喜びや悲しみを分かち合う心も大切にするように、との意味も込められております。

水屋の「洗心」の文字は總持寺独住第22世得道芳髄大和尚のご真筆を刻んだものです。参詣の皆様に、身を清め、手を潤すだけでなく、心を洗い、渇きを癒して、子々孫々に仏心を受け継いで欲しいという願いが込められております。

牛久市民の木─トチノキ(トチノキ科)

正源寺の山門をくぐると境内右手に「トチノキ」が大きく勇壮に茂っています。この「トチノキ」は樹齢推定四百年、まさに開創以来の正源寺と宿場町の歴史を見守ってきている木で、樹高17m、樹幹周り3.3mの大木です。春は新緑が眩しく、季節ごとにその様相を変え、落葉高木で秋になると沢山の大きな落ち葉と共に丸く大きなトチノキの実をつけてくれます。コノハズクやコゲラなど鳥達の憩いの場にもなっています。

かつては「ケヤキ」や「ムクノキ」の巨木もあったようですが、現在残っているのはこの樹のみとなっております。

この樹は正源寺のシンボルとして寺報やHPの名前にもたびたび登場します。

 

 

本尊 釈迦如来坐像

寺院案内